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お互いに新しいプロレスを模索していた二人のほぼ全盛期の潰し合い。
ローラン・ボック(Roland Bock、1944年8月3日生まれ)は、ドイツの元プロレスラー。
旧西ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州ガイスリンゲン出身。
プロレスを無視した、受け身のとれない投げで相手をポンポン投げて、怪我をさせたり、再起不能にさせたりし、地獄の墓堀人として嫌われていた。
1978(昭和53)年11月25日、西ドイツ シュツットガルトで行われたアントニオ猪木vsローラン ボックの一戦
1976年に当時のボクシングヘビー級チャンピオンの「モハメド・アリ」と戦った猪木は一気に有名になり、ヨーロッパのローランボックからシリーズへの参加を求められた。
猪木はアリ戦で有名にはなったが、10億円とも言われる負債も負っていたので、無理を承知で参加した。
23日間で20試合を行い、かつ6か国を巡るという”強行軍”だった。
結果は猪木の3-0の判定負け
試合は、ラウンド制で、マットも堅いものだった。
とにかく、プロレスの試合じゃない。
まさに、ガチンコ、セメントマッチ、シュート、潰し合い、凄惨な試合。
地獄の墓ほり人と呼ばれて嫌われていたローランボック。
受け身のとれない投げをポンポン放ち相手を潰してしまう。
ただし、猪木と同じで新しいプロレスを確立しようと模索していた。
いわば、猪木のやったIWGPのような構想のシリーズに猪木が参加した形だった。
なので地元のボックも自分の強さを見せないといけないシリーズだった。
ボックは猪木をフルネルソンのまま振り回して、リングに叩きつけるような荒業も。
両者の頭突きの打ち合いも壮絶。
人間の攻撃の中で一番強烈なのが頭突き。
ほとんどの格闘技で頭突きは禁止。
頭突きが認められているのはプロレスと相撲。
相撲の立ち合いで頭で当たるのは例外中の例外。
あらためて見ると、それでも耐えた猪木。
よく潰されなかったなと言う感じ。
ボックも猪木も全盛期の試合。
ボックはその後来日するが、すでに体を壊していてそれほどの衝撃はなかったな。
猪木の惨敗のように報じられているし、結果はそうかもしれないが、
上の写真を見れば、試合の凄まじさが分かるし、猪木の激しさもよくわかる。
試合自体は猪木の判定負けで決まっていたのかも知れないけれど。。。
猪木はそんな生易しいファイターではないよ。
たとえ、八百長の負けブックでも。
まさに、キラー猪木!!
解説も何もないもの
ここでは、ローランドボックと言っていますね。
昭和の巌流島・力道山対木村政彦、真相に迫る。
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RIJINの八百長問題